白くま皆さん、ショートショートを知っていますか?



ショートショートとは、短編小説よりも短い、1ページから数ページ程度の小説のことです。意外な結末や、斬新なアイデアが特徴で、読者を驚かせたり、考えさせたりするような魅力があります。



今回、初めてショートショートを書きました。
空白のベンチ
29歳、僕は今だに何かを探している。
はっきりと何かを失ったわけじゃない。
大学を卒業後、仕事で地方から東京に移住した。
ただ、朝起きて、顔を洗い、満員電車に乗り、仕事をして、帰って、眠る。
そんな毎日の隙間に、ふと気づくのだ。「あれ? 俺、なんのためにこんなふうに生きてるんだろう」って。
友人たちは結婚したり、マイホームの話をしたり、昇進に浮かれたりしている。
彼らの目には、ある種の確信があるように見える。
でも、僕にはそれがない。
未来を語ろうとすると、言葉の前に沈黙が立ちふさがる。
音のない空白を、ただ歩いているような感覚。
何かを見つけた気がしても、翌日には霧のように消えている。
そんな日々を、僕はもう何年も続けてきた。
時々、駅のホームに立っていると、
向かいのホームでスマホを見ている人たちの顔が、なぜか全部同じに見える。
無表情でもない、楽しそうでもない。
ただ、どこか遠くを見ているような、あの感じ。
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僕も、たぶん、あの一人だ。
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仕事はちゃんとしている。
怒られるほど下手でもないし、褒められるほど優秀でもない。
同期が課長になったという話を聞いても、心がまったく動かない。
嫉妬もないし、憧れもない。
たぶん僕は、成功という言葉に、もう信仰心を持てなくなっているのかもしれない。
時々、昔のことを思い出す。
大学生の頃、真夜中の河川敷で寝転んで、星を見ながら語った“夢”のこと。
馬鹿みたいなことを真剣に語れた、あの夜の熱。
あれが“何か”だった気がする。
まだ僕の中に残っている、“探しているもの”のかけら。
でも、今の僕はあの頃の僕と、同じ人間だろうか?
年齢だけが積もって、心の中身はどこかに置いてきてしまったような気がする。
その日も、特別なことは何もなかった。
仕事を終え、適当にコンビニで夕飯を買い、アパートに帰る途中。
いつもならまっすぐ帰るのに、なぜか足が勝手に曲がった。
小さな公園。
夜の公園には、ほとんど誰もいない。
でも、そのベンチに、一人の女の人が座っていた。
歳は……僕と同じくらいか、少し下か。
髪が肩まで流れていて、手に紙袋を持っていた。
何をしているのか、わからなかった。
でも、目が合った。
「こんばんは」と、彼女は先に言った。
少し驚いたけれど、僕も思わず「あ、どうも」と返していた。
それだけの会話だったのに、妙にその声が耳に残った。
なんとなく気になって、帰り際にもう一度振り返ると、彼女はまだそこにいた。
空を見上げていた。
月が出ていたけれど、彼女の目には何が映っていたんだろう。
次の日も、その公園に立ち寄ってみた。
いるはずないと思っていたのに、彼女は同じベンチにいた。
「また会いましたね」と彼女が言った。
僕は小さく笑った。
それが、僕の“何か”が少しだけ動き始めた瞬間だった。
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三日目、彼女は紙袋の中から何かを取り出していた。
スケッチブックだった。
開かれたページには、少し雑だけど力強い線の絵が描かれていた。
人の顔でも風景でもなく、言葉にしづらい何か。
抽象的だけど、不思議と目が離せなかった。まるで岡本太郎のような絵だ。
「それ……あなたが描いたんですか?」
彼女はうなずいた。
「そう。意味なんかないけどね」
「意味が、ない?」
「うん。意味があるって思うと、自由がなくなるじゃない。
絵は、私にとって“気持ちの逃げ道”みたいなものだから、説明とかいらないの」
彼女の言葉に、僕は少し面食らった。
僕はいつも、何かに意味を探していた。
仕事の意味、人生の意味、自分の存在の意味。
だけど彼女は、意味なんていらないという。
「逃げ道……いいですね、それ」
そう答えると、彼女は少し微笑んで言った。
「でしょ? あなたも探すのやめたら?」
「え?」
「“何かを探してる顔”してるからさ、あなた。
でも、そんなの見つかるかどうかなんて、誰にもわかんないじゃない。
だったら、気持ちよく生きられる場所、見つけた方がいいんじゃない?」
――ズシンと来た。
正論でもないし、哲学的な言葉でもない。
だけど、ずっと聞きたかった言葉のような気がした。
それから、僕は仕事帰りに公園に寄るようになった。
会えるかどうかはわからないけれど、あのベンチが自分にとって“少しだけ息ができる場所”になっていた。
不思議と、そこではうまく笑えた。
彼女の名前は、ユリと言った。
フルネームを名乗ることも、聞かれることもなかった。
でもそれで十分だった。
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ある日、少し肌寒くなってきた頃だった。
ユリはベンチに座るなり、空を見上げてぽつりと言った。
「今日、会社辞めてきた」
僕は驚いたが、同時に、どこか彼女らしいとも思った。
「……怖くなかったですか?」
「怖いよ。けど、あのままいたら、私の心が死ぬと思ったから」
「心が、死ぬ……」
彼女は笑って、紙コップのコーヒーを一口飲んだ。
「あなたは? その仕事、好き?」
答えに詰まった。
好きか嫌いか、考えたことすらなかった。
なんとなく続けて、なんとなく疲れて、でも辞めるほどの理由もなくて——
それが今の僕だった。
「わからないです。でも、怖いんですよ。何もない人間になるのが」
「“何か”がある人なんて、ほとんどいないと思うよ。
でも、“何かがなくても大丈夫な人”にはなれる。
私は、そっちを選びたかっただけ」
ユリの目は、夜の光を受けて、どこか澄んで見えた。
何も持っていないのに、すごく自由に見えた。
その日、家に帰ってシャワーを浴びていると、不意に涙が出た。
悔しいとか、悲しいとか、そんな感情じゃなかった。
ただ、ずっと塞がっていた心の底に、少しだけ風が通った気がした。
ユリと会わなくなったのは、十一月の初めだった。
その前触れは何もなかった。
いつものように公園に寄ると、ベンチは空っぽで、風の音だけがやけに大きく聞こえた。
その日だけだと思った。
次の日も、そのまた次の日も、僕は同じ時間に公園に通った。
けれど、ユリは現れなかった。
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ある夜、ベンチの下に小さな封筒が落ちているのを見つけた。
雨に濡れてふやけた文字で、僕の名前が書いてあった。
開くと、短い手紙が入っていた。
「あなたはきっと、ずっと何かを探す人なんだと思う。
でも、それでいい。
立ち止まりたくなったら、このベンチを思い出して。
私は、ちょっと違う道を歩いてみるね。
ありがとう。じゃあね。」
その夜、僕は一人でベンチに座り、ずっと空を見上げていた。
何かを見つけようとするでもなく、何かを願うでもなく。
ただ、風を感じていた。
ユリは何も答えをくれなかった。
でも、不思議と、僕の中には少しずつ“余白”のようなものが生まれていた。
何かで埋めなきゃと思っていた心の穴に、
「埋めなくてもいいかもしれない」という空気が流れ始めていた。
あれから数ヶ月経った。
相変わらず僕は会社に通い、日々の暮らしは大きくは変わっていない。
でも、週に一度はあの公園に行って、ただ座って空を見る。
意味は、ない。
でも、意味なんてなくても、人はちゃんと呼吸できる。
そう思えるようになった。
29歳、僕は今だに何かを探している。
でも今は、探すことそのものが、自分らしいと少しだけ思える。
